2015/07/23
平成27年7月14日
山鹿市立博物館主催 「おもてなし講習」の
第2回「山鹿市立博物館」の講習に参加いたしました。
チブサン古墳やオブサン古墳を見学しました。
中には、西南戦争にて残った弾丸の痕もあり、驚きました。
<西南の駅山鹿口の戦い>
明治10年西南の役においては、山鹿特に鍋田台地が主戦地となり、田原坂に勝ると劣らない激戦が繰り広げられた。概ね540名が戦死。薩軍(薩摩第4大隊)は、薩摩の勇将「桐野利明」を総司令官に山鹿の中心部に本部を構え、一方官軍側は、津下少佐率いる小倉第14連隊と2月26日から3月20日に田原坂敗退という誤報がもたらされたため、薩軍が撤退。それに乗じて官軍が山鹿に入ってきた。3月21日までの24日間戦闘が繰り広げられた。
博物館周辺には、西南の役関連の史跡として、弾痕の残る墓石がある年の神墓地・飫肥隊奮戦の地・共同隊平川惟一戦死後・小倉第14連隊旗を手にした村田三介戦死の地などがある。